教養

今日という一見何の価値のない些細な日常が、10年後には目を細めずにはいられない輝かしい記憶の1ページになっている、はず。

今日の夜。食後に家族でテレビを見たり食器を洗ったりしていた時間に、4歳の娘が急に不機嫌になった。
理由は全く分からないんだけども、まあ、そういう気分だったんだと思う。

そして「外に行きたい」と言い始めた。
時間はもう19時を回り外はほぼ暗くなっていたので、まさかこの時間から遊びに行く訳にもいかなかった。

それならと、少し散歩に行こうかと聞くと、うん、と首を縦に振ったので父娘二人で散歩に行くことにした。

娘は歩きたくなかったのか、僕は娘をおんぶして歩くことになった。
まあ、食後のウォーキングにはちょうど良い。16キロの荷物を背負っていればダイエットにもなりそうだ、などと内心で思いながら暗くなった夜道を歩いた。

道路を歩いていると、向かいの歩道に犬を連れた人が歩いていた。

「こんなにくらいのに、歩いている人がいるよ」
と娘。

娘にとっては、日が落ちればもう真夜中と変わらないのかもしれない。
暗くなっているのに人が歩いていることが、とても不思議だったようだ。

僕の自宅の近くには川が流れている。海では潮が満ちているのか、川は端から端まで水で満たされていた。
対岸の川岸に立つマンションや建物の看板の光が、水面のをゆらゆらと揺れていた。

対岸では、どこぞの悪ガキがロケット花火を打ち上げたのか、下から上に上がる小さな細い光と、ポンっという音が響いた。

「誰かが花火をやってるよ」と僕。
「ホントだね。ママに教えてあげないとね」と娘。

西の空を見ると、まだ微かに太陽の残滓が残っていた。
地の果てに沈んだ太陽の光を受けて、薄く弱々しく紫色で雲が彩られていた。

きれいだと思った。

僕はきっとこの日の出来事も、娘との会話も忘れてしまうと思う。
でもふとした切っ掛けで、ある日、紫色の空と雲を見たときに、突如として懐かしい気持ちに満たされるのだと思う。
なぜだかわからないけれどとても懐かしい、悲しい、切ない、やるせない、そんな気持ちに。
今日の出来事を思い出せなくても。

願わくば娘も、そうであった欲しいと思う。
今日という日の出来事を忘れてしまったとしても、娘の魂に、心に、今日の些細な出来事が刻まれ、そして、君の行動に、判断に、人生に、良い影響があれば嬉しい。

日々の日常はとても些細な出来事しかないけれど、結局人生ってのは些細な出来事が積み重なってできあがる集大成。

その後、僕らは川から離れ、自宅マンション近くの道路を一周しながら今日の出来事を色々話し、そして自宅に帰った。

帰宅した娘は、魔法が解けてまた不機嫌になった。

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