教養

「未来記憶」と「ときめく片付け」のスカイラブハリケーン

人生がときめく片づけの魔法」の本を読み、「片づけをしよう!」と思い立ったものの、その日が来たときに果たして愛する本たちを捨てられるのか・・・正直なところ不安でいっぱい。

しかしFacebookやらブログやらで片づけをするような素振りを既に見せてしまっているので、これでやらなかったら「やるやる詐欺」になってしまう。
まあ、「やるやる詐欺」は僕の人生においては前科一犯どころか前科一杯だから、まあいまさら一つ前科が増えたところで痛くも痒くも・・・・・・・・・・・・無いことはない。

それにこのまま過去の遺物や汚物を、囚人の足に鎖で繋がった鉄球の如くズールズールと引きずって人生を歩んでいけるほどに、僕の心も身体も身軽ではなくなってしまった。(太ってきたし)
子供の発想や行動が自由で闊達なのは、もしかすると引きずっているものが少ないからなのかもしれない・・・とふと思った。
僕もここらで過去を断ち切り、純真無垢な子供のようにもっと身軽に、もっと自由に、もっと早くそして高く、未来へ進んでいこう!・・・なんて意気込んでみる。嘘だけど。

・・・いや、嘘じゃない嘘じゃない。
みーくん、まーちゃん」を読んでたから主人公の口癖が移った。この間3巻を読み終わったばかりだからね。それはともかく・・・

 

人生がときめく片づけの魔法 」を読んで、自分が持っている「モノ」の事を考えてみた。
僕の家と心のスペースの多くを占めているのは、ほとんどが本。あとはセミナーとか講座の資料かな。部屋の状態が心の状態を表すとはよく言ったものだよね。僕はやはり本が好きなのだと実感。
逆に少ないものは、服とか小物類。少ないものって言うのは興味も薄いから、恐らくサクッと捨てられると思う。不要なものであればね。
問題は、数が多い「本」。彼らの扱いが、片づけ・・・いや、「祭り」の失敗と成功を分かつ鍵になりそうだ。

残すべきものの捨てるべきもの・・・このことについて考えていたとき、「未来記憶」の事を思った。

「未来記憶」
アンソニー・ロビンズ「直伝」トレーナー・池田貴将さんの処女出版。

「未来記憶」とは何ぞや、というのをめっちゃ砕いて説明すると、何か行動をするときには未来記憶で意味づけをするんだよ、ってことです。

 

・・・砕きすぎた。

池田貴将さんによると、行動を起こすときに使う記憶には3つあるとか。

「未来記憶」「現在記憶」「過去記憶」――

成功者の多くは未来を見ている・・・らしい。
たとえば、掃除で例に。

過去記憶の人
「え?、掃除ぃ?やだやだぁ、メンドクサイも?ん。臭いしぃ、服が汚れるしぃ。小学生の頃ぉ、ゴミ箱に頭から突っ込んで以来、もぉやらないって決めたんですぅ。」

現在記憶の人
「掃除の他にも、勉強しないと行けないし、でもその前にご飯食べないと行けないし・・・あたふたあたふた」

未来記憶の人
「掃除?大好きなんですよ、掃除!掃除をして、きれいに飾り付けたりしたら、人を呼んでパーティとか出来ちゃうじゃないですか!それに風水とかで、掃除をするとお金持ちになれるっていいますしね!」

ある行動に対して過去記憶を使う人は、過去の嫌な記憶を引き出して、感情をネガティブにしてしまう。
反対に未来記憶を使える人は、未来にある良いイメージを引っ張り出してきて、感情をポジティブにし、行動すること自体が楽しくてしょうがなくなる。

・・・と、まあ、こんな感じ。(たぶん)

つまり、ある行動に対して未来のイメージを持つか、過去のイメージを持つかで、感情の状態を左右してしまうということ。
行動をしやすくするために「未来記憶の量を増やしましょう」というのが池田貴将さんの、みんなに伝えたい言葉。(僕が曲解しているかもしれないから、未来記憶についての詳細は本を読んでね)

で、本の話の戻る。いや、本に限らず、「モノ」でもいい。
それを片付けなければならない。

では、いったい何を残し、何を捨てるか。

「人生がときめく片づけの魔法 」ではその本のタイトルの通り、「ときめき」を取捨選択のキーワードとしている。
「カワイイ」とか「カッコイイ」も、もしかするとその「ときめき」の一つなのかな。

しかしここで、「未来記憶」の事を思った。

残そうか捨てようか迷ったら、その「モノ」を見たときにムクムクと起き上がる記憶を見てみれば良いのかもしれないなぁ、と。

「モノ」には記憶も魂も宿らない。多分ね。(髪の毛がのびたりする人形も稀にあるとか無いとか・・・・・・・・・無いと言ってほしい)
でも、その「モノ」を目にしたときに沸き起こる自分自身の記憶やイメージがある。

例えば、僕の場合は「吉田松陰(著:山岡宗八)」を見ると(読まなくても)、もっと勉強して成長しないと!と思う。「マインドリッチ(著:玉川一郎)」を見れば(読まなくても)、玉川先生のように出し惜しみをせず自分の持てるものを全力で人に与え、そして常に成長し続けることのできる人間になりたいと思う。「論語」を見れば、目指すべき人格がかくあるべきかを改めて思い起こさせてくれる。
これはつまり、その本に対して僕が未来記憶を持っていること、なのだと思う。きっと。

逆に、あるモノを見ても懐かしさしかなかったり、むしろネガティブなイメージを彷彿とさせるものは、きっとそのモノに対する自分のイメージが「過去記憶」しか無いのだと思う。

たとえば、昔の彼女の写真があって、それを見るたびに過去を思い懐かしみ、あーすりゃよかった、こーすりゃよかったと嘆き悲しみ後悔するだけであればそれは明らかに過去記憶で、そんな代物が机の引き出しの奥底に入っていようものなら、引き出しを開ける度に呪われているようなものですよね、ほんと。
ドラクエなら教会に行くレベル。
ちなみに僕は初めて付き合った人と結婚したので昔の彼女の写真とか存在し得ません。あしからず(^^)v

本で言えば特にビジネス書なんて、古い物は賞味期限切れを起こしている事が多い。(何十年も前から重版されている物は賞味期限切れを起こすことは少ないかもですけどね)
それに、何か問題を解決したくて本を手に取るとき、自分の持っている蔵書を省みる事って意外と少ないんじゃないかと感じる。解決したい問題があって「本を読もう(本から問題解決の糸口を探そう)」と考えたなら、きっと本屋や図書館で、いままで読んだことのない本を選択するんじゃないかと思う。
だから、どの本を残すかというのは、未来記憶があるかないかで見ればいいのかもしれない。

「未来記憶の量を増やしましょう」と池田貴将さんは言います。行動をしやすくするために。

片付けによって、未来記憶が沸き起こるものを残し、過去記憶が出てくるものを捨てることで、僕は「未来記憶の量」が増える事に繋がるのではないかと、そう思った。
未来記憶を持つ「モノ」に囲まれたなら、僕の未来記憶の量も増えて行くに違いない!!

 

池田さんの著書「未来記憶」の最後の章は、こんなタイトルです。

 

「未来記憶を増やすと、人生は充実する」

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・ちなみに、
「スカイラブハリケーン」は立花兄弟の技の名前です。

 

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