本を読もう

目的は本ではなくて珈琲でもない。僕はドキドキを求めてそこに行く。

「梟書茶房」……僕がその店の存在を知ったのは、娘のスイミングがきっかけだった。

「梟書茶房」……
僕がその店の存在を知ったのは、娘のスイミングがきっかけだった。

娘が小学校低学年の頃から続けているスイミング。自宅から電車に乗っていくスポーツジムに、娘を一人で活かせるのは不安なので、毎週送り迎えをしていた。
スイミングの練習が終わるのを待つ間、僕はスポーツジムがある建物の1階に入っているエクセルシオールカフェで一人の時間を過ごすのが好きだった。
エスプレッソに大量の砂糖をそっと入れてゆっくりとかき混ぜ、飲みきった時に底に残った砂糖をティースプーンですくって、その甘さを味わいながら本を読む。


あるときふと、エクセルシオールカフェの経営者や、資本のことが気になった。特に深い理由はなかったのだけれど。単なる興味本位だったのだと思う。
さっそくiPhoneで調べてみると、ドトール系列であることを知った。
僕の中でエクセルシオールカフェはマイナーな方で、ドトールは名のしれたカフェだった。だから、あのドトールの傘下にエクセルシオールカフェがあったことで、エクセルシオールカフェに対する印象が変わった。
そのエクセルシオールカフェと同列にもう一つ、「梟書茶房」という店舗名が目に入った。

「(生き物の)フクロウでもいるのかな」というのが最初の印象だった。
その「梟書茶房」のサイトをよくよく読んでみると、いわゆる「ブックカフェ」のようなお店のようだった。フクロウはいないらしい。

ブックカフェというと、僕は新宿の「ブルックリンパーラー」を思い出す。
新宿にある映画館の下にあり、壁際には厳選して選んだような書籍が並べられ、食事をしながら自由にそれらの本が読めるというお店。それがブルックリンパーラー。

「梟書茶房」のサイトを一読した時に気になったメニューがあった。
「本と珈琲のセット」だ。
その本は袋で閉じられていて(フクロウだけに?)中身がわからない。
珈琲に合わせて選ばれた本が、珈琲と一緒に運ばれてくる、というメニューだった。

行ってみたい、と思った。梟書茶房に。

本好きの友人に早速連絡をとった。
……連絡とったものの、実際に足を運んだのはその日から数カ月後だったと思う。

初めて「梟書茶房」に行ったとき、僕は当然「本と珈琲のセット」を注文した。
その時のテーマは、「祝杯」だった。
選ばれた書籍は「フェルマーの最終定理」、作者は「サイモン・シン」。
この選書が、僕の心をガッシリと鷲掴みにしてしまった。

めちゃくちゃ面白かった。
普段の僕なら選ばないような内容の本だったけれど、本当に面白かった。
フェルマーの最終定理に挑む男「アンドリュー・ワイルズ」、その男に焦点を当てて文字を綴った「サイモン・シン」。
僕が小学生や中学生くらいの時にこの感動を味わったとしたら、きっと僕は数学が好きになったのではないか。……そんなことを思った。

その感動がきっかけとなり、僕は月に1度くらいのペースで、一人ででも「梟書茶房」に行くことになる。

テーマがあり、珈琲があり、それに合わせた本がある。
本を閉じている赤いリボンを解き、本の1ページめを開くその瞬間は、すごく興奮する。

確かに珈琲は美味しい、本も好きだ。食事やデザートもこだわりを感じられる。
でも僕がこの「梟書茶房」に通うのは、「本と珈琲のセット」で出された本を開く瞬間に感じるドキドキを、また感じたいから。

ちにみに、袋に閉じられている本は、なにも「本と珈琲のセット」だけではない。
「梟書茶房」のレジ前の壁際に並ぶ書籍全てに、表紙が見えないようにカバーが掛けられ、ビニールで閉じられている。
中身を読むことはできない。
数行のあらすじというか、感想らしきコメントがのみで、本を選んでいく。

「梟書茶房」は一種のブックカフェなのかもしれないけれど、しかしブルックリンパーラーとはまた違う形態だと思う。
どちらかというと、「天狼院書店」に近いのかなと思った。

「梟書茶房」も「天狼院書店」も、本も売ってはいるけれど、本だけを売っているわけではないのだと思う。
「梟書茶房」は(まあ珈琲や食事も出すけど)まだ見ぬ本の世界を開く瞬間のドキドキを売っているし、「天狼院書店」は、本を媒介にしてセミナーなどの「場」を提供しているのだと思う。

より一層、僕は本が好きになった。

(今回の文字数は1738文字……少なっ)

サンドイッチ

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